ここの家には15歳、13歳、11歳の娘さんが3人。3人とも学校へは行かずホームスクールで育っている。
ここネルソン界隈にはホームスクールで子供を育てているファミリーが沢山いる。と、いってもほとんどの子供達は学校へ行くそうなので、ニュージーランド全体を見てもホームスクールをしている割合はごくわずかだそう。
実は15歳と13歳の娘さんにはまだ会ったことがない。というのも私がここへ来る少し前から野性馬の調教をする為、ウェリントンへ行っているからだ。毎日野性馬との関係づくりに励んでいるという。
そう、彼女達の関心事の一番は馬!
11歳の娘さんは毎朝9頭の馬のエサ(塩、酢、穀物、オイルなどをミックス)を用意し、夕方には干し草をあげるのが毎日の日課。
エサの入ったバケツや干し草は私でも運ぶのが大変なほどの重さだが、ひょいと持って運んでしまう。強い馬が気弱な馬のエサを奪おうとすると、大きな声を出し、ペチンッと馬の身体を叩いて追い払う11歳の彼女の姿は圧巻だ。そうかと思うと、馬の側に寄り添い優しい声をかけ、馬を撫でて、抱きしめる。
11歳とは思えないたくましさ!
私は学校には行かないで、ライフについて学んでいるの!とさらりと話す彼女。
学校に行く意味とは何だろう。
私が学校に行っていた時の関心事といえば、テストで良い点を取りたい、良い成績を取りたいということだったと思う。私は両親から勉強しなさいとか良い学校へ行きなさいなど強要されたり、怒られたりしたことは一度もなく自由に育ってきたのだが…
いつも私の評価基準は外にあり、そこにはいつも承認欲求があった。良い成績を取れば私は認めてもらえる。他者からの評価が私の安心に結びついていたように思う。今にして思えば本当はとっても苦しかったな〜
が、学校でいくら良い成績を取ってもそれは学校という枠の中でのこと。学校という枠を外れた時にはじめて、今まで私がすがっていたものが意味が無かったことに気づいた。
自分で自分のことを認められないもどかしさ。なんだかとても悲しく、不安になったのを覚えている。
これからどう生きていったらいいのだろう?
生きるとは何だろう?
私達はもっと自分自身のことや生きること、暮らすことについて考え、体験し、学ぶ必要があるように思う。
それはお金には変えられない、豊かさや安心感、生きていく力をもたらしてくれるように思うからだ。
私は今、日々学びの中にいる。そこには勉強という堅苦しさはなく、学ぶことが生きることに直結しているので学ぶ楽しさがある。そして自分自身が生き生きしているのがわかる。
私より一回り以上も小さな少女がライフについて学んでいるのという言葉は私の心に深く響いた。
学生時代の私に会って言葉を残せるとしたら、周りのこともテストのことも気にせず、好きなことをとことん追求して知識を深めたらいいよ、それが生きる力になるから、と伝えたい。
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